仕事しはじめた!
オーストリアで念願かなって仕事し始めたのが、2023年5月1日から。
面接の時に言われたのが、初めは朝食ビュッフェからで徐々に慣れてきたら、コーヒーハウスでって。
で、初日は朝食ビュッフェの説明とコーヒーハウスの説明。
朝食ビュッフェのサービスはオランダに居た時にフリーランスの単発でも数回ほど働いたことあるし、皿洗いはめっちゃお世話になってたからだいたい流れはわかる。
でも、ここのホテルのビュッフェのコーヒー客が自分で取りに行くやつじゃなくて、サービススタッフがコーヒー要るか?って聞いて持って行くシステムやった(;・∀・)
ホテル客はほぼ英語だったし、同僚も英語を喋ってくれるから大丈夫だった。
って初日は本当みんな優しいのよね(;´∀`)
ただ初めてだったのが、テーブルにテーブルクロスきちんと引いたりナプキン折ったりとかが不慣れで慣れるのに時間がかかったって、初日少し説明されて、じゃあ、コーヒーハウスも見てみてと。
初めてのコーヒーマシンに、カプチーノとか私ちゃんと作れるのやろかと不安やったし、覚えること多すぎるし、まぁ最初は洗い物だけ徹底してればいいやろうし、しばらくは朝食ビュッフェだろうし、全然気にしてなかったが、次の日からは何故か昼出勤からでって。。。そう自動的にコーヒーハウスへ。。。
私ドイツ語わからないべ。
でも何人かの同僚は英語しかわからないとか英語も全然出来るから大丈夫ってなって、お客さんも配慮してくれるよ!と謎の説得をもらい、次の日から頑張ろうと心に決めたら、はい、次の日超お局おばさんが何故ドイツ語出来ないのに働き出した!?っと。
1人の同僚がめっちゃフォローしてくれ、後に彼はある意味ネタ的大親友になると。
おかげで何とか超お局との仕事も乗り越えれて、彼女の居ない日は忙しくても精神的にリラックスして働けるようになった。
それから、その大親友的な彼(C)とほぼ同じシフトで働くことになった。
後々気づいたのは彼は接客したくないと言うこと笑
だから私にこうやって注文取って〜とかこうやってお会計して〜とか挙句に、君は才能あるからドイツ語も上達したら完璧になる!っと言って、ここのドイツ語コース通いなよっと。
私もまあドイツ語は次のビザの更新にも要るし、勉強しないととは思ってたから、ちょうどよかった。
そして、仕事とドイツ語コースを同時にこなした約3ヶ月間。
最後は本当死んだ笑
体力ないよ朝週3で語学コース行って週5、8時間働いて。
しかも家探し中やって、家見とかもあったし本当あの3ヶ月は過酷やった。
今絶対出来ないわ。しかも7、8月ってめっちゃハイシーズンやったし笑
知らんがなーやった(;・∀・)
とまたそのことは後々書くとして、最初の2週間が終わり、その2週間はお試し期間みたいな感じやった。私からも辞めたいと言えるし、職場からもクビってすんなり出来る期間。
私はCのおかげでここで働きたいって思ったから、続けることに。
職場も特に何も言って来ず、そうこれで正式に採用的な。
で、次の1週間は何故かまた朝食ビュッフェに。
ここにも最強お局がおった。
めっちゃ表面上は優しいの、でも急に何故か怒りだすと。
もう1人の仲良くなった同僚と彼女はバイポラだと、だから何言われても流すのが良いっと。あとは当たり障りなく接すること。親しく喋ったら急に怒りのスイッチ入るからって本当厄介な人だった。
ドイツ語コースに通い始めたのと、人事の人がその最強お局が私に怒鳴ってるのをみて、この2人は一緒に働かせたらダメとマネージャーに言ってくれて、その1週間だけで朝食ビュッフェで働くことはなくなった(;´∀`)
そこから、ずっとコーヒーハウス担当に。
オランダからオーストリアへ
2023年3月31日に無事オランダからオーストリアに引越しました。
弾丸で旦那がオランダに来てくれて、オランダの部屋の荷物や大型ゴミの回収されなかった分を運びに行くの手伝ってもらったりで、無事に引っ越せた。
着いてからはとりあえず無職生活。。。
ビザが降りるまでは何も出来ない。。。とりあえず履歴書の準備や、英語がメインでも大丈夫な職をインターネットで探したり。
目星つけたとこを、ブックマークしてと。
ビザ出来るまでの2週間はほんと退屈だった。
お金多少あるものの、仕事がいつ決まるかわからないし、とにかく寒かったから引きこもってた。
ビザの申請は結婚に必要だった書類よりも正直楽だった。
現地の人と、結婚したって証明があったから多分取得しやすかったのかと。
とりあえずドイツ語A1が取れてて良かった!って本当思った。
ビザも無事取得出来たので、早速仕事応募しまくった。
英語でも良いって書いてた販売員やオランダで単発で何日か働いた某服屋、キッチンヘルプ、ホテルでの朝食ビュッフェやありとあらゆるもの応募して、返事かかってきた電話とか、メールとか、正直パニックなった笑
結局販売員はお断りされ、キッチンヘルプとホテルの朝食ビュッフェの面接に呼ばれた。
ホテルの方が早めに呼ばれたので、とりあえずホテルの面接へ。
本当にありがたいことに速攻採用していただいた。
って後々、超裏があったが笑笑
今となっては私頑張ったよっと自分でも言いたくなる。ってまだ在籍してるが。
と採用にあたって、キッチンヘルプの面接はお断りした。
働くにあたっても書類書類!
住み始めたばかりなのに、無罪証明書住んでる地域の警察で取ってきてねと。
そして、念願かなって2023年5月1日付けで働き始めた。
オランダの大学に留学 ラスト編
さて、最後にやられたクソ出来事。
私の通ってた大学は1年に6回の入学時期がありました。
なので6学期ごとと言う感じで、1学期ごとに学費を計算したら、当時1学期で約1800ユーロ弱。
もちろん超詐欺大学なので、学期ごと払いはさせてくれません。
私は1年分支払ってて、最後の学期は行くつもりなかったので、返金して欲しいと思い、事務局に連絡しました。
それが確か口頭だったから、後にメールでって言われメールで事情を書き、この日で退学と言う形でって書いたら、じゃあそこからはビザのスポンサーは降りるから、あっでもその日以降にオランダ出るんだよね?じゃあ、この期間は不法滞在だね的な感じの脅しをされ、慌てて移民局に事情を説明したら、そんな期間で不法滞在になる訳ないと。
本当ムカってきて、メールで不法滞在にはなりませんから、とにかく返金直ちにお願いしますと書いたった。
そしたら、新しい住民票とビザを送ってくれない限り返金手続きは出来ないと。
からの、オーストリアに引越し揃った書類を送った。
で、言われたのが授業料の返金は出来ない。とりあえず入学時に納めたデポジットと言う名の何のデポジットやねんって言うのを返すと。
授業料は本当納得出来なく、何件かインターネットで弁護士見つけたがややこしそうだったし、雇ったらその方が高くつきそうだったから正直泣き寝入りした。
腹いせにグーグルマップでレビューでも書いたりたいと思ったが、もうすでにいっぱいの人から書かれてるし、コイツらの為に時間を割きたくないと思い、前向きで行こうと決めた。
だから、もし誰かがオランダ留学についてグーグルで検索してる時に、私の記事が止まれば是非どこの大学か聞いて欲しい。内部事情正直に言えるから。
と、オランダ編は終わり。
でも本当いい思い出だった。来年の秋ぐらいに旅行に行けたらなっと思います。
オランダの大学に留学 番外編③
この留学中に人生で1番大切な人と出会いました。
結婚なんて、って諦めてたけど絶対この人と将来一緒に居たいと心から思える人が出来て、同じ気持ちだったので結婚する事になりました。
と言うことで、そこから書類集めが大変だった。
とりあえず彼の出身地(オーストリア)で暮らそうとなり、いろいろとネットで何が必要かとかを調べまくったり、役所に足を運んだり。
出生証明書にアポスティーユが絶対いるとのことで、一旦日本に帰らないと行けなかった。
そして、その書類の翻訳をオーストリアにある日本領事館だったらドイツ語にしてくれて、確実みたいなのを聞いたので、アポイント取ってしてもらうことに。
書類関係は何とか大丈夫って感じだったけど、1番の大問題が。
式当日、通訳者を連れて来ないとダメと!じゃないと結婚は出来ないと言われた。
いやーあたしらお互い英語でコミュニケーション取れるがなっと。。。
彼がドイツ語を英語に訳すやんって言っても、絶対通訳者!!!
じゃあ、どうやって見つけるんですか?と聞いたら、インターネットのここから探せばいいよって、見せてくれたが、日本人いないやんって言う。
居てもウィーンやん。来てもらうの無理やんって言う。。。
で、あっ近くにある裁判所行ってみたら?と言われ、行って聞いてみても日本人の通訳者なんか居てないと。
向かえに弁護士事務所あるから弁護士に聞いてみって言われ、行って聞いてみたら、居てないわ〜って。。。
あっ、領事館に電話してみな、多分いてるはず!!
いって言われ、電話したら、
そんな理由で通訳者必要なんか初めて聞いた!!!
って(;´Д`)モォームリ
で、改めて役所に電話したら、1人日本人の通訳者知ってると。
(初めから言えや!!!!)ってめっちゃ2人でイラっとした。
電話番号教えてもらって、彼が電話してくれ、式当日来てくれることに。
めっちゃ助かった(*.ω.*)
そして、当時はまだオランダに住んでてバイトもあった私。
彼に会えるのは本当嬉しかったのだが、役所の担当の人の都合に合わせ書類関係のことで足を運ばないと行けない日が急にあったりで、めっちゃ振り回されたと。
からの当日、通訳者の人来てくれめっちゃ良い人で本当最高だった。
と無事結婚は出来た。
そのあと一緒に暮らす方向に向けてまた書類集めが。
オーストリアで家族ビザを取るにあたって、まずドイツ語のA1を持ってると言う書類が必要だった。なので、A1を受けることに。これも場所と日時が限られてて、結局ウィーンまで行かないと行けなかった。
でも、何とか受かって良かった。
あとはややこしかったのが、私がオランダに住んでたから住民票みたいなのを出せって書いてて、どこでそんなん取るねんって感じで調べたらオランダの住んでる地域の市役所で取れるってわかり、でも翻訳をーって言ったらそんなん出来ひんって言われ、よく見たら、オランダ語・英語・ドイツ語やって、おぉ助かったと安心。
からの無罪証明書。。。
日本の無罪証明書とオランダでの無罪証明書を提出するように言われた。
日本の無罪証明書はオランダの日本大使館で申請した。
指紋採取全部の指でやらされ結構しっかりした感じの。
オランダの無罪証明書は警察で出来ると思ってたけど、これもまた市役所だった。
書類出してくれるのに1ヶ月ぐらいかかるって言われ、ヤバイ、間に合わないかもって思ってたけど、事情を説明しなんとか間に合うようには努力するって言ってくれ、何とか間に合った。
あとは旦那側も結構書類が必要だった。
とりあえずお互い何とか揃えることが出来て、オランダ生活に終止符を打った。
が、クソ大学が最後の最後までクソすぎた。
最後に超クソ出来事を書いてオランダ編をおしまいにしたいと思います。
オランダの大学に留学 番外編②
フリーランスの資格?みたいなのに登録。
よくオランダにフリーランスビザで入国し、移住と聞きますが、多分全然違うやつだと思います。
私の場合はあくまで学生ビザで、学生しながら起業する為の資格?みたいな??
なので、フリーランスビザはわからないけど、私のような学生ビザや配偶者ビザ保有の方で起業したい人はchamber of Commerce ( Kamer van Koophandel ) でKVKナンバーを取得するみたいな。
ってあくまで起業という目的。絶対ここで、日雇いバイトしたいからこのナンバー欲しいって言ったら速攻断られると思う。
うろ覚えだけど、私がどのようにしてKVKナンバーを取得したかの方法。
Kamer van Koophandel のホームページに行き、どこの地域の事務所で登録するアポイントを取りたいかを選択。
大都市だと半年待ちとかあるから要注意。
そこから、登録フォームに名前や従業員数、会社名とか一体どのような事業をするのかを事細かく入力。もちろんオランダ語です。
だからグーグル使って翻訳したりしました。
そして、入力完了後に確認メールをもらい、あとはアポイントの日に行くだけ。
で、アポイント当日こんなことするんだ〜へ〜的な感じで、登録料を払いそして完了。
当時2022年の1月の様子はこんな感じでしたが、今は正直どうなのかわかりません。
学生がテンパーなどの日雇いバイト目的で取得してるからってのが多いから、もしかしたら今は厳しくなってるかもしれません。
そして念願のテンパー登録って言っても、アプリをダウンロードしてプロフィール登録して、KVKナンバー等を入力してって感じで、あとは自分が出来そうな仕事に応募するだけ。
もちろん、ほとんどがオランダ語要とかだったけど、中には英語だけでも大丈夫そうなのもあったから、何か言われたら嫌な私は英語だけでも大丈夫そうなとこを応募した。
あとは接客も不安だから、キッチンの仕事経験あるしその中でもどこでも似たシステムやと思う皿洗いに積極的に応募した。
あとは某服屋の品出しやカオスなフィッティングルームの片付けとかの仕事。
週1回土曜日はクリーニング屋があるから、それ以外の日を日雇いバイトに明け暮れてた(この頃ぐらいから学校はサボりがち笑)
でも日雇いバイトは、レギュラーの人が足りてない時の補充用でって感じだから、継続的にあるとは限らない。そして、家の近くはほぼ皆無。
なので、平行してレギュラーバイトを探したくなり、家の近くの辺りのレストランの皿洗いで検索して、何個か出てきたから履歴書送りまくった。
当時第二期か三期のロックダウン開けだったから、どこも人手が欲しい感じで、殆どのレストランからすぐに返事が来た。
でも揃って聞かれるのが、ワークパーミットあるか?だった。
1つのレストランは、私一応学生って言ってるのに、やたらフルタイムで働かせようと。
学生ビザだったら20時間以内しか働けないって聞いてるんですけど、っと伝えても、えっ?だからって感じで。。。
税理士か弁護士かに相談すると言われ、結局私がフルタイムでは働けないのと、そのレストランがワークパーミットを取らないといけないってのがわかったのか、断られた。
で、もう1つのレストランに面接行ってみた。
そしたら、同じ大学の子も過去に雇ってたとか、私のビザ事情もよくわかってるみたいで、レストラン直接雇用じゃなく派遣会社みたいなとこ経由の雇用で、そこがワークパーミット出す的な感じで雇ってもらった。
とりあえず学生ビザで来ても簡単にバイト雇ってもらえないってことがわかった。
そして、週2ー3で家の近くのレストラン、週1でクリーニング屋、空いた時間に日雇いバイトと働きまくった。
でも、学費は納めたわけだから、興味ある教科だけ受けに行ってってした。
クリーニング屋も割りが合わないと気づき、友達にやってみる?って聞いてバトンタッチして終了した。
とにかく働くことに関しては、良い経験したと思う。
オランダの大学に留学 番外編①
と言うことで、クソ大学以外の情報と言うかを書き出してみます。
家探しはめっちゃっめっちゃ大変だった!!!!
日本では不動産屋に直接行けば、大抵希望の部屋を紹介してくれる。
だから、その感覚で全然余裕やろって思ってた。
だがしかし、オランダは全然そんな風に行かない。
不動産屋に手数料を先に払って、家を見つけてもらうシステム。
しかも見つかるまで毎月的な。
(2021年当時)
正直、見つからんかっても月々お金払うって・・・って言う気持ちがあって、他に何か探せる場所ないかとネットで調べまくって見つけたのが、kamernet?って言う物件情報サイト。
個人の大家さんが載せてたり、不動産屋とか、ルームシェアしたい人が載せたりしてて物件数も当時は一番多かったサイト。
でもここも写真や情報は無料で観れるものの、連絡したい場合はお金がかかると言う。
月額制だった。でも比較的払ってもいいかなって言う値段だから、とにかく手当たり次第ガンガンメッセージを送った。
ただ返事返ってくるのが、ほぼ0。
1ヶ月の月額で何とか決めたい私にとっては本当ストレスだった。
妥協して遠くの物件見つけたけど、クソ大学まで通学に時間かかるし、電車代もかかる。
しかも、怪しい大家の一軒家でって言う。。。キッチンシェア、バスルームシェア。。。
あとは若い学生ばかりの家も。部屋が薄暗く、カビってる感じ。
そこの大家には早く決めないと明日にはもう他の人が契約するかもって。
脅されつつ、本当ありがたいことに、クソ大学に近い物件が部屋見おいでって。
速攻行きます!って行ってキッチン自分の部屋についてるし、トイレ・シャワーは同じフロアの人4人と共有。
もし誰か使ってたら下の階のトイレ使えるし、全然問題ないと言うかもうここに住ませて!!って感じで、部屋見終わりにお願いしますって言って、鍵もらえる日も決め手付金みたいなのも払い部屋探しに幕を閉じた。
そりゃ贅沢言えばスタジオみたいなとこに住みたかった。
しかもスタジオと言うか、キッチンとバスルームが部屋にあれば家賃補助が出るって聞いたから、そう言う物件が良かったが、また振り出しには戻れないと思い本当見つかって良かった。
そして、オランダの物件、ほとんどが家具なしで、イケアで注文して何とか自力で組み立てた。
ソファは要るか?と前の住人が聞いてくれて、要ると言ったが何個か棚は前の住人が勝手に置いて行って。。。
助かったが後々処分が大変だった。
そして出来上がった部屋がこんな感じ。



と家はこんな感じ。
住む場所も決まったし、次はバイトを探そうと。
確かオランダ掲示板かそんな感じので日本人向けの求人を探した。
当時オランダ語なんて全然わからないし、英語もそこまで自信なかったから、とりあえず日本人向けのと思い。
ただ日本人向けのはアムステルダムばかり。家から1時間で電車で行けるから全然大丈夫だったし、土日祝日はどの区間乗っても一律35ユーロぐらいのチケットみたいなのあったから、それを購入したら良いわと土日だけアルバイトしたら全然良いわって感じで探して、すぐに返事くれたのはクリーニング屋(洗濯屋)の受付。
コインランドリーも併設されてて、とりあえず店開けして、コインランドリーのお金もらって、店内掃除して〜、ドライクリーニングの受付して、慣れてきたら、ワイシャツを洗ってアイロンしてって言う。
バリバリ日本の店名だったけど、パキスタン人のオーナーの店という。
そして、ガチでブラックバイトやった笑笑笑
あとからヤバイよねって感じになったけど、まぁまぁ大丈夫やった笑
給料手渡しと言うか、勝手にあたしがレジから言われた分取ってた笑
売り上げ金とか店に隠して月曜の人にバトンタッチって感じの超ゆるい感じ笑
ここのバイトのおかげでちょっとは生活費の足しになった。
で、クソ大学で仲良くなった子と一緒にどこかでバイトしたいってなって、近くにある宅配スーパーの倉庫でバイト応募したら、あたしら学生ビザだけど、このビザじゃ雇用主がワークパーミットを取らないと行けないから、雇ってあげることが出来ないと断られた。
そして、彼女が他の友達から言われたフリーランスの資格を取り、私にもそれ取ったらいいよー、で、テンパーっていう日雇いのバイトできるからって。
オランダの大学に留学⑤
2ブロックをファンデーションコースで過ごし、3ブロック目から学部に進学した訳だが、これが授業???
って言う感じ。
1科目3時間の授業を週2回×4回の合計で試験と言う。
この頃はまだコロナの影響だったから、自宅で期限2週間で仕上げる小論文的なので。
書き方習ってねー、サイテーションって何!?
って言うレベルで。。。とにかく、仲良くなった子に、参考でどうやって書くか教えてって聞いて参考のを送ってもらって、何とか自分でやった。
何と言うか自己学習向けの学校?って言う疑問が徐々に私の中で膨らんできた。
こんなことして身についてるのか?これでどうやって大学出て活かせるのか?って言う疑問に。。。
学校に関しては疑問点だらけだけど、友達は何人かできて本当それはよかった。
今でも離れてるけどたまに、連絡したり機会があれば会いに行けるとこにいるってのが本当ありがたいと思っている。
その友達のおかげで、フリーランスの登録をして、今はどうなってるのかわからないけど、テンパーと言う日雇いのアルバイトみたいなのを気軽に出来るようになって、そこでもまた友達出来たりとか色んな経験が出来た。これは本当楽しかったし、後々色々と役に立てた。
そして、その留学中に運命の出会いがあり、今こうして隣の隣の国のオーストリアで生活している。
だから決して最悪だったって言う留学ではなかった。
ただこのクソ学校には2年だけしか居ない!と言う決断はよかったと思う。
旦那と結婚しなかったとしても、私はケリをつけて帰ってたと思う。
ズルズルこの学校にはお金払っていようとは思わなかったから。
そう、学校以外は本当にいい思い出だった。
だから、正直後半は興味ある科目だけ授業を受けに行ってた。
特にドイツ語の授業はありがたかった。おかげで、A1を取れた。
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